世の中 安穏なれ
今月のことばは、親鸞聖人が門弟に宛てられた手紙(ご消息)第25通「世の中安穏なれ 仏法弘まれ」の中の前半のことばです。
「世の中、安穏なれ」は「世の中が、安らかで、穏やかなように」ということでしょう。私たちが不安になるのは、昔から「貧」「病」「争」と言われています。世界中が新型コロナウイルスで不安と混乱に満ちています。
非常事態宣言により営業休止を余儀なくされ、収入減による経済不安、コロナに感染しないか、感染させないかという不安、外出自粛により、在宅時間が多くなり、ストレスがたまり、家族間のいさかい、まさに、コロナによる、「貧」「病」「争」の不安でいっぱいです。
そんな時に、知らない方から「おたくのお寺では、コロナ退散のお参りはしていませんか」という電話をいただきました。「不安な気持ちはよくわかりますが、浄土真宗のお寺では、商売繁盛、病気平癒、家内安全といったお参りはおこなっていません」と応対いたしました。
親鸞聖人は、「悲しきかなや道俗の 良時吉日選ばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」(正像末和讃)で「悲しいことです、人々は日柄の良し悪し気にして、多くの神様を拝み、占いや迷信に頼っている」と述べられています。
不安な時には、日柄や方角を気にしてみたり、神仏にお願いして、不安を取り除こうとする人は多いようです。親鸞聖人が「仏法弘まれ」と述べられた、お念仏の教えは、私が仏様にお願いするのでなく、仏様の願いを私が聞かせていただく教えです。仏様の願いとは、どんなことがあっても、決して見捨てずに、必ず、摂めとっていくという願いです。
「世の中 安穏なれ 仏法 弘まれ」
(令和2年5月の掲示板)