永照寺の経蔵は、享保5年(1720)に西恩住職の発願によって建立されました。
県内に現存する輪蔵形式の経蔵の中では、福岡市の聖福寺に次ぐ古いものです。
山門の向こうに見える「経蔵」の中に大切に収められています。
この輪蔵を一回転させると一切経読誦と同じ功徳を得られるといわれ、広く信仰を集めてきました。輪蔵は、ケヤキ材を用いた唐様組者の六角形で、仏師康円が手がけたとされている傅大士(ふだいし)、および両脇侍の普建童子・普成童子像の三体が正面に置かれています。
なお、輪蔵に納められていた鉄眼版の一切経は、慶応2年(1866)の豊長戦争の際に散逸し、現在は新修大正蔵経が納められています。