我ら娑婆中毒
苦悩(くのう)の旧里(きゅうり)はすてがたく、いまだ生れざる
安養浄土(あんにょうじょうど)はこひしからず候ふ
お盆と言う時節、好むと好まざるとに関わらず亡き人のことが頭を駆け巡る。
盆参りの為、家を転々とする「暴僧族」の癖に偉そうなことを言うが、腰を据えて亡き人と向かい合うのも大切な過ごし方だと思う。
平成二十三年、親友が亡くなった。香典返しに貰った経本入れに数十冊の聖典を入れ、法事に持参している。御門徒さんと一緒にお勤めさせてもらうためだ。この経本入れをニンスケと思い、お供にしている。一年のうちに百五十日位はニンスケのこと思い出す。生きている時はせいぜい四十日位だったので、死んでからの方が、私の心を占領する時間が長い。誤解がないように言っておくが、私はゲイではない。ニンスケは、死ぬ間際まで闘病生活を続けた。お見舞いに行くと、天ざるを食べ、デカビタCを飲んで元気をアピールしれくれた。「ガンネタで稼げるように今からネタ仕込むよ。完成したらお寺の行事に呼んで!」など、つねに前向きな姿勢を忘れなかった。 亡くなった当時の様子を日記に書いている。
【1月4日の日記から】
友人が亡くなった。ニンスケである。 夕方の出来事だった。
「耳は聞こえるから何か話して!」と奥さんに言われたが、「ニン」「もしもし」しか言えなかった。言葉がなんにもない。言葉で伝えられることなんてほとんど薄っぺらなことでしかない。最後まで生きる為に戦おうとしていた人間に「お浄土で会おう」とこちらから言えるか?「頑張ってくれ。生きてくれ」過酷すぎる。「頑張ったな」どれだけ上から目線なん?「大丈夫」何が?かつがつ嘘でない言葉。 「ニンは一人やないぞ。みんなおるぞ。気持ちはずっと側にいるぞ。1日も忘れてないぞ。」この言葉を伝えてくれと頼んだが、本人に届いたかどうかはわからない。確実にいえることは、今日自分の人生において大切なものが一つ無くなった。そしてそれはもう二度と戻ってこない。それだけである。南無阿弥陀仏
【1月10日の日記から】
友人の通夜、葬儀に参列した。いつものニンスケが寝ている。 いつもと違うところが二つ。冷たい…硬い…報恩講の時にミョウショウと撮った写真はいい顔をしていたが、輪袈裟がずれている。アイツらしい。本棚に並べられた書籍を見て、人の悲しみに寄り添おうとした生きざまが伝わってきた。通夜のお参りを終え、ずっとそばにいようと思ったが、家族にとっても大切な時間だし、うるさい連中がゾロゾロいても迷惑なので、お寺ではなく旅館ですごした。 故人を偲んだり偲ばなかったり、泣いたり笑ったりしながら、大切な夜をすごした。ニンスケに電話したら「もしもし、ドッキリでした」とでも言いそうな雰囲気がある。ニンスケの死をなかなか受け入れることができなかった。
葬儀が終わり、お棺の蓋が閉められ、お寺を出る時に「ああ、もう二度と人間としては会えないんだな」という寂しさと、同じ時代に生まれ、同じ時間をすごせて良かったという感謝の気持ちが同時に湧き起こってきた。胸がいっぱいになり涙が溢れてきた。
友人達に抱えられたお棺が外まで運ばれた時、まぶしい光がお棺の上の七条袈裟に注がれる。溶けることを忘れた白い雪とのコントラストはなんとも云えぬ美しさがあった。 『ニンスケとはまた遇える』と本気で思っている。それどころか今ここにはたらいている。これからも俺の人生に寄り添ってくれる。
そういえば、俺の人生に寄り添ってくれているのはニンスケだけではなかったな。じいちゃん、ばあちゃん、ひいじいちゃん、ひいばあちゃん、歴代住職、御門徒さん…あとどの位、娑婆と縁があるのかわからないが、許されるかぎり生きて死んでいこうと思う。
ニンスケの死は多くのことを語ってくれた。ここに書けること書けないこと種種あるが、心がエグラレルような言葉も遺してくれた。
「結局自分って、門徒と言う名のお参りやら行事に参加してくれる言わば健康で元気な真宗ファンクラブ会員の前で、いかにもみたいな事言って自己満足してきただけだったのかなぁって思ってね。教学的権威を出すことで身を守って、周りを頷かせていく。やらなアカンことは、お聖教やらをうまく解説することや、お聖教の言葉でなんとかしたろとかなんかじゃなくて、単純に寄り添ってくれたり話聞いてくれたりっていう行動なんやと思うよ」 「昔から真宗って自分なりの解釈は許されない感じがあると思う。白なのに黒って言っちゃうのはどうかと思うけど、色んな白があるのはいいことだと思う」
究極の場所に立った人間からの言葉だった。 自分の声に向き合いながら「あきらめたくない」と葛藤の日々を過ごしていた
ニンスケが身をもって教えてくれたことは、「人間は苦しみに溢れた娑婆が好きで、清浄の世界に生まれたいなどと思えない性質になっている」という真実だった。この真実が教えてくれるもう一つのことは、そんな我々に「はたらく」性質を持つものが如来であるということだ。大きな願いの中に我々を摂めとってくださるのだ。泣いたり、喜んだり、悲しんだり、我々の状況に左右されることなく壮大なスケールで包んでくださっているのだ。そのことを有難いとも思えない日暮らしだが、先に浄土に参った方々に恥ずかしくない人生をすごさねばならないとは思う。「真面目に生きる」ということでない。それぞれの色を精一杯輝かさなければ申し訳ないということだ。限りある己の蝋燭が容赦なく燃え続ける中、今日も太陽が西の空を真っ赤に染めている。
(平成24年8月の法話 担当:村上 慈顕)