「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。
しかしすでに自己が自分のものではない。
ましてどうして子が自分のものであろうか。
どうして財が自分のものであろうか。 『法句経』
昔の日記から…
チワワが暴走している。必死でおいかける丸刈りの中学生。
中学生のただならぬ様子を察知したタクシードライバーが一緒にチワワを追いかける。
傍らに車を停めて、私もチワワを追いかける。
駐車場の片隅に追い詰められたチワワ!
飼い主でもないのに私が、吠えるチワワを抱きかかえた。
予想通り噛まれ、腕に血が滲む。
中学生に
「捕まって良かったね。はい」
とチワワを渡すと
「僕の犬じゃありません」
え!!!…タクシードライバーの顔を見ると
手をブンブン振って『NO』をアピールしている。
なんともいえない空気が流れる。
しばし立ち尽くしていると、向こうから70歳位の女性が走ってきた。
『ついに飼い主が現れた』安堵の気持ちで、女性にチワワを渡す。
「私の犬じゃないよ。みんなが走っていたから見に来たのよ」とのこと。
結局、近所に住むという この女性がチワワを預かってくれることになった。
一体あの犬の飼い主は誰だったんだろう?
帰りの車中『?』の花が咲き乱れる。
飼い主・持ち主・所有者。全て人間の決めごとであって
チワワはチワワ。ワタシはワタシ。
誰のものでもない命が ただ・ここに与えられているだけなのかもしれない。
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