■このページの掲載内容/ 本堂内陣
 
1.七高僧御影

七高僧は、七祖ともいい、
親鸞聖人が真宗相承の祖師(しんしゅうそうじょうのそし)
と定めた七人の高僧方のことである。
上からインドの龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・天親菩薩(てんじんぼさつ)
中国の曇鸞大師(どんらんたいし)・道綽禅師(どうしゃくぜんじ)
善導大師(ぜんどうだいし)、日本の源信和尚(げんしんかしょう)
源空(法然)聖人げんくう(ほうねん)しょうにん。
2.蓮如上人御影

本願寺8世、真宗中興の祖と言われている。親鸞聖人の教えを
わかりやすく手紙の形式で綴った
「御文章(ごぶんしょう)」によって民衆を教化。
さらに「正信偈」「和讃」をお勤めにとりいれ、勤行の形を定めた。。
3.阿弥陀如来立像

【本尊】はるか過去に世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとですべての
生きとし生けるものを救うという願いをおこして出家した法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が
いろいろな仏の浄土をみきわめ、五劫(はてしない時間)の間、熟慮して四十八の
誓願(せいがん)をおこし、さらに修行して徳を積んだ後、
いまから十劫の昔にその誓願のすべてを実現して阿弥陀仏となった。
南無阿弥陀仏の名号をとなえることによって浄土に生まれることができる。
梵名の「アミターバ」は「無限の光をもつもの」、「アミターユス」は
「無限の寿命をもつもの」の意味で、 これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。
空間と時間を超えた如来であることをしめす。


1国に1つ 触れ頭に与えられる、真向きの御影である。浄土真宗の開祖。
9歳の時、青蓮院慈円について得度。建仁元年(1201)六角堂に参籠し、
95日の暁に聖徳太子の示現(じげん=現れ示すこと)により、吉水に法然聖人を訪ね、
専修念仏の門に帰した。建永元年(1206)興福寺の告訴による念仏弾圧により
越後に流された。(承元の法難)その後、愚禿と自称し、恵心尼公と結婚。健保2年(1214)
家族と供に常陸(茨城県)に移住し、念仏の教えをひろめられた。
立教開示の根本聖典となる「顕浄土真実教行証文類」を撰述し、加筆推敲を続けられた。
弘長2年(1262)に生涯を終えた。


十七条憲法の「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」
という宣言からもわかるように太子の崇仏は深い仏教理解
と信仰に基づくものであった。親鸞聖人も太子のことを
「和国の教主」としてあがめた。太子の夢告により、法然聖人を訪ね、
専修念仏に帰し、のち、太子の徳を奉讃して和讃を著した。
民間に流布した太子信仰は、真宗発展の基盤ともなった。


真宗寺院では安置しないのが普通であるが、富野村(現在の富野台)の
海蔵庵という庵で発見されたので特別に安置している。
※当山6代目西吟が殿様から1600年代に土地をもらっている
そこに海蔵庵という名前の庵をつけた。
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